OMNES VIAE ROMAM DUCUNT

善意も悪意もあわせ持つ読者に

習慣と所有

 筆者は、ある大学院の勉強会にて、パースのプラグマティズムに関する報告発表を行った際に、次のように述べたことがある。

 

 近代以降、無視と忘却の歴史をたどった「習慣」概念には、個人的に底知れぬ深さを感じるところであり、その分厚い伝統を掘り起こしてみることは、私の今後の課題の一つとして持ち越したいと思っています。

 

 今後の課題として持ち越したままだったが、少しばかり方向性が定まったので、ここに記しておくことにする。

 

 すなわち、アリストテレスのhexis(持前)、トマス・アクィナスのhabitus(習慣)にまで遡りつつ、パースやデューイの「習慣」論との関係も視野に入れながら、マルセル・ガブリエルの「存在と所有」(Être et avoir)の問題から示唆を得つつ、「習慣」を「所有」という視点から読み直す。

 

 今年中に全体の骨格を完成させて、その後、徐々に肉付けをしていく予定である。また、進捗状況については、本ブログにて報告していくつもりである。