OMNES VIAE ROMAM DUCUNT

善意も悪意もあわせ持つ読者に

全てを解き放て

 意欲は解放する。これこそ、意志と自由についての、真なる教えである。ツァラトゥストラは汝らにその教えをかくのごとく教える。

 もはや意欲せず、もはや評価せず、そしてもはや創造せず――あぁ、その大いなる疲労の我には常に遠からんことを。

 認識においてもまた、我はただ我が意志の生産と生成の快楽のみを感ずる。そして、もし潔白が我が認識においてもありとせば、それはただ、生産の意志が認識において存するがゆえである。この意志は我を誘って、神及び神々より去らしめた。そもそも、もし神々がここにいたとすれば、今はた何を創造せんとするのか。

 この我が激越なる創造の意志は、常に新たに我を駆って人間に至らしめる。かくて鉄槌をして石を撃たしめる。

 あぁ、汝、人間よ、石の中に一つの像、我が多くの像の一つが眠っている、あぁ、この像が、かくも硬く醜き石の中に、眠りを続けざるをえぬとは。

 今や、我が鉄槌は、この像の牢獄の石に向かって残酷にも荒れ狂う。石よりして破片は飛び散る。それが私に何だというのか。

 私はこれを完成しよう、我に或る影がやって来たからである。万有の中、最も静謐にして最も軽快なるものがひとたび我に訪れたからである。

 超人の美が、影さながらに我に来た。あぁ、同胞よ、今更、神々が我に何の関わりをもとう――ツァラトゥストラはかく語った。

 

 理性の能力の特別なものは、思考ではなく創造である。理性でものを生む予感と挫折と憧憬と傷とが共存する、ここはまさに創造的体験の場である。