OMNES VIAE ROMAM DUCUNT

善意も悪意もあわせ持つ読者に

プラグマティズム勉強会原稿

 以下の原稿は、或る大学院での勉強会用に作成されたものである。諸般の事情により日の目を見ることなく埋もれていたのだが、今回このような形で公表することとした。報告原稿という性格上、精細を欠く記述になっていることは御容赦いただきたいが、プラグマティズムあるいは分析哲学を理解する上で、いくらかでも資するところがあれば幸甚である。

 

 この原稿の題材は、ジョン・マーフィー著『プラグマティズム入門』(勁草書房・2014年)の第7章「プラグマティズム的経験主義と実証主義的経験主義」である。もっとも、テキストの予備知識なしでも理解できるよう配慮してあるので、公表するに当たって内容を編集することは一切しなかった。

 

 最後に、この原稿を書く機会を与えていただいたことに、心から感謝申し上げたい。

 

 ………

 

 報告の枕に、若干の思想史的な話をしてみたいと思います。

 

 かつて、デカルトパスカルスピノザライプニッツに至る大陸合理論と、ホッブス、ロック、バークリー、ヒュームに至るイギリス経験論という二つに分裂してしまった流れを統合したのは、西洋近代哲学の祖カントでした。

 

 しかし、渡邊二郎によれば、西洋現代哲学は、カント哲学の偉大な試みも虚しく、科学に拠る経験主義的哲学と、そうでない形而上学的哲学との、極度の分裂の時代だと診断されます。経験主義的哲学の主流は、とりわけ英語圏の哲学を支配し、形而上学的哲学の潮流は、ヨーロッパ大陸の哲学を貫いています。したがって、「現代」という時代は、英語圏の哲学と、ヨーロッパ大陸の哲学との対立によって形成されている時代と言えるでしょう。すなわち、英語圏分析哲学・科学哲学の哲学と、ヨーロッパ大陸生の哲学現象学・解釈学・実存哲学、さらにはその源流としてのドイツ観念論以来の諸思想とは、決して和解しえない対立のうちにある、と。

 

 渡邊の見立てによれば、これら両者は、互いに相手を無視し、嫌悪し、忌避し、敵対し合っており、フレーゲ、ラッセルを読む人々は、フッサールハイデッガーの1頁すら読まず、逆に、ヘーゲルニーチェを読む人々は、カルナップやクワインにすら一瞥を与えません。ローティは、「今日のアメリカ哲学」(『プラグマティズムの帰結』〔ちくま学芸文庫〕所収)という論文の中で、第二次世界大戦後から70年代半ばまでは、分析哲学ヨーロッパ大陸哲学との「分裂」が、アメリカにおいて過度を極めたという意味のことを述べています。すなわち、アメリカ哲学は、論理実証主義の潮流に席捲されて、哲学とは、科学的知の説明、否、それ自身が科学的知の延長にすぎないと考えられ、およそ、ヘーゲルハイデッガー等のドイツ哲学には一顧だに与えられず、こうして、分析哲学ヨーロッパ大陸哲学との分裂は大きく拡がった、とローティは述べています。また、エイヤーも、『論理実証主義』という自らが編んだ書物の序論の中で、「英語圏の国々にあっては、今世紀全体を通じて、ドイツの思弁的思想の今日の数々の途方もない言動に対する、ほとんど完全な無視が支配している」が、「このような国別の分裂はまことに遺憾なことである」と、述べているほどです。

 

 さて、もう少し視野を限定すると、例えば、ラッセルとフッサールは、同じイギリス経験論の伝統から重要なインパクトを得ながら、それと同時に、イギリス経験論に対して批判的に距離を取りました。この得たものとの距離との取り方の差異によって、分析哲学現象学という二大潮流の差異が、大きく規定されることになります。そして、分析哲学には今回の主役であるクワインが、現象学にはハイデッガーが現れ、それからさらに、前者にはデイヴィッドソンが、後者にはガダマーが続くことになります。

 

 本章で取り上げられるクワインとは、そうした西洋現代哲学の二大潮流のうち、英米哲学、とりわけ分析哲学の流れに位置する哲学者です。それでは、思想史におけるクワインの大まかな位置付けを確認したところで、早速内容の方に入っていきましょう。

 

 本章で扱われるウィラード・ファン・オーマン・クワイン(Willard van Orman Quine)は、1908年6月25日、アメリカ合衆国オハイオ州北東部の町アクロン[1]で生まれました。クワインの母の兄(クワインの伯父)は、アクロンの大学で数学の教師をしていて、彼女はその兄を大変尊敬しており、息子であるクワインに、その兄の名前である「ウィラード」を付けたそうです。「ファン・オーマン」は母方のファミリーネームです。

 

 さて、本章のタイトルは「プラグマティズム的経験主義と実証主義的経験主義」です[2]。予習の段階で読んでいただいた方は分かると思いますが、プラグマティズム的経験主義はクワインの立場を、実証主義的経験主義は(クワインが批判する)論理実証主義の立場を指す術語(terminology)として用いられています。

 

 そこで、クワインの思想(=プラグマティズム的経験主義)を解明する前に、彼の批判対象である論理実証主義について、先に説明することにしましょう。本日はなかなか本題に入ることができませんが、必要な迂回になりますので御了承ください。

 

 それでは、本文152頁の最初のパラグラフを御覧ください。「1930年代および1940年代の経験主義哲学は、プラグマティズムではなく論理実証主義によって支配されていた。実際、プラグマティズムはこの20年ほど瀕死の状態にあったのである。」

 

 ここに登場する「論理実証主義」とはどのような思想なのでしょうか。

 

 ドイツの哲学者ヨアヒム・リッターが構想・編集した、ドイツで最も定評ある12巻本の哲学事典『Historisches Wörterbuch der Philosophie』の解説によれば、「論理実証主義(Logischer Empirismus, Logical positivism)」という言葉は、「いわゆる“ウィーン学団”によって展開された哲学説を指す表示」として、1930年代の初めに人々によって用いられたのがその起源を成すとされています[3]

 

 そうすると、論理実証主義を知るためには、「ウィーン学団」なるグループを明らかにする必要が出てきました。

 

 ウィーン学団(Wiener Kreis, Vienna Circle)は、ウィーン大学に籍を置く、数学者のハンス・ハーン、物理学者のフィリップ・フランク、社会学者のオットー・ノイラートを主要メンバーとする(非公式の)サークルを母胎としています(1907年発足)。ただし、ウィーン学団の本格的な活動は、1922年、ウィーン大学の「帰納科学の理論と歴史」講座(エルンスト・マッハが初代教授を勤めた〔1895年〕)に、モーリッツ・シュリックがハーンによって招聘され、上記サークルとの交流が活発化したことから始まります。ちょうどアインシュタインなどの新しい物理学が隆盛を極めつつある時代背景もあって、彼らは自然科学の方法論と論理分析を武器に、従来の哲学や形而上学を「仲間内でしか通じない、難解で深遠そうに見える言葉やレトリックを操って空疎な議論を行っているだけの(ように見える)哲学者とその哲学」として執拗に攻撃しました。実際、ウィーン学団のメンバーであったルドルフ・カルナップは、ハイデッガーの著作に対して論理分析を試み、ハイデッガーのテキストがナンセンスな記号列にすぎないということを論じています。

 

 そして、この「ウィーン学団によって展開された哲学説」こそ、論理実証主義にほかなりません。

 

 論理実証主義とは、一言でいえば、「論理主義[4]」と「経験主義(=実証主義[5])」との結合です(ただし、論理実証主義という、論理主義と経験主義の幸福な結婚を示唆するこの曖昧な言い回しには、実は罠が含まれています。詳しくは後述)。ウィーン学団は、経験主義に定位する一方で、19世紀後半から20世紀初頭にかけて目覚ましい発展を遂げた数学的論理学・記号論理学を武器にして、伝統的哲学・形而上学の打倒と哲学の革新を目指しました。

 

 論理実証主義の立場は、「有意味である命題は感覚経験(sense data)によって検証可能でなければならない」と主張するものです。これをより強い主張として解釈すれば、「命題の意味は、それが検証される方法によって決まる」という言語哲学上の主張になります。いわゆる「意味の検証理論」(verification theory of meaning)ないし「検証可能性原理」(principle of verifiability)と呼ばれるものです[6]。こうした主張は、感覚経験によって検証できない自然科学以外の形而上学的命題を、観察によってアクセスできない存在者への言及であり、「無意味」として排除するという目的を持っていました。

 

 このように、ウィーン学団は、「すべて理解可能な命題は経験に基づく」とする「経験主義」の立場から形而上学を批判しようとしました。まさに「哲学の仕事は自然科学を思弁的形而上学から切り離している厳密な境界を明らかにし、そしてそれを強化することだと信じていた」(本文153頁)わけです。しかし、この場合、彼らが排除しようとした形而上学的命題はともかく、「論理主義」者として彼らが重視する論理学および数学の命題が扱えないという事態が生じてしまいます。というのも、論理学や数学の命題は、経験によって真偽を論じることができず、これらを経験的命題とみなすには無理があったからです(例えば「7+5=12である」という命題をどのように感覚経験によって検証することができるでしょうか?)。そこで、論理学および数学の命題の性質ないし地位が問題となりました。

 

 その際に参照されたのが、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』(独英対照版は1922年出版)でした(なお、ウィトゲンシュタインウィーン学団の正規メンバーではありません)。

 

 周知のように、ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』の中で、「命題」を、①有意味な命題、②論理学および数学の命題、③哲学的(形而上学的)命題の三つに分けました[7]。その上で、形而上学的命題をナンセンスとする一方で、論理学および数学の命題をセンスはないがナンセンスではない命題と位置づけており、このことが「論理主義」と「経験主義」との折り合いをつけるもののように思われたので、ウィーン学団に歓迎されたのです。

 

 つまり、論理実証主義者は、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』における「論理の命題はトートロジーである」、「数学は論理的方法であり、数学の命題は等式であり、したがって疑似問題である」、「世界の論理は、論理の命題がトートロジーにおいて示すものであるが、数学はそれを等式において示す」という主張からインスピレーションを受け、論理学および数学の命題は分析的命題であり、かつ、分析的命題はトートロジーであり、トートロジーとはそこに現れている語の意味によってのみ与えられる。そして、最終的には、論理的および数学的真理は規約によって真であると考えました(「規約による真理[8]」)。

 

 以上より、ウィーン学団は、論理実証主義として以下の二つの命題しか真として認めません。すなわち、感覚与件(sense data)を記述した単純命題と論理学および数学の形式的命題の二種であります。前者の例は「この花は赤い」のような経験記述命題でこれをプロトコル命題と呼び、後者の例は「7+5=12である」のような命題です。

 

 論理実証主義者は、カントが立てた判断の区別に必要な変更を加えて(mutatis mutandis)踏襲し、前者を、経験の事実に照らして「真偽が検証できる」ところの蓋然的な「綜合的命題」と呼び、後者を、制定された記号用法の規約として必然的であるところの「分析的命題」と呼びました。

 

 このように主張することによって、論理実証主義は、この二種の命題以外は、すべてそれについて真偽の語れない命題、すなわち無意味(ナンセンス)の命題としました。それゆえに、伝統的な哲学、すなわち形而上学の問題は、ほとんどが仮象問題(Scheinproblem)として却下されることになるのです[9]

 

 さて、以上の思想史的な背景を踏まえた上で、いよいよ本章の主役であるクワインの説明に入っていきます。世代的には、論理実証主義運動のリーダー達よりも一世代後に属する彼は、いったい何をしたのでしょうか。

 

 「おそらく第二次世界大戦以降に書かれた最も影響力を持った論文」(アラン・ドノガン〔1970年〕)、あるいは「おそらく、ここ半世紀の間に書かれた最も重要な哲学論文」(マイケル・ダメット〔1973年〕)とまで評される「経験主義の二つのドグマ(Two Dogmas of Empiricism)」論文(1951年)によって、クワインは、「論理実証主義の死出の旅路の弔いの鐘を打ち鳴らし」ました(本文153頁)。

 

 なぜなら、「二つのドグマ」論文は、次のような宣言から始まるからです。

 

 参考資料31頁。「現代の経験主義は、ふたつのドグマによって大きく条件づけられてきた。ひとつは、分析的真理、すなわち、事実問題とは独立に意味に基づく真理と、綜合的真理、すなわち、事実に基づく真理とのあいだに、ある根本的な分裂があるという信念である。もうひとつのドグマは、還元主義、すなわち、有意味な言明はどれも、直接的経験を指示する名辞からの論理的構成物と同値であるという信念である。どちらのドグマにも根拠がないと私は論ずる。」

 

 これら二つのドグマは、「分析/綜合」の区別および「意味の検証理論」という、論理実証主義の二つの基本テーゼに対応するものです[10]。また、二つのドグマを捨て去ることにより、「思弁的形而上学と自然科学のあいだにあると考えられてきた境界がぼやけ」、「プラグマティズムへの方向転換」がなされるとされます(ibid.)。然るに、形而上学と自然科学との境界のぼやけは、その境界の設定と形而上学の排除こそを目標に掲げてきた論理実証主義に対する根本的な批判となることは明らかでしょう。

 

 このように、「二つのドグマ」論文でクワインは、当時主流となっていた「論理実証主義」のアイデンティティを木っ端微塵に破壊したのです。『ネオ・プラグマティズムとは何か』の著者、岡本裕一朗先生の言葉を借りれば、「前期の分析哲学〔=論理実証主義〕にガチンコ勝負を挑んだわけであ」り、ここまでの長い迂回も、クワインが正面から厳しく批判しようとしたその対象を明らかにするためでした。

 

 もっとも、『プラグマティズム入門』では、「二つのドグマ」論文の具体的な批判内容にまで立ち入った説明がなされておりませんので、その点については参考資料を是非とも参照していただくことにして、先を急ぎたいと思います。

 

 さて、「分析/綜合」の区別という第一のドグマに対する批判は、これらの概念の基礎をなす「意味」という概念の批判を含意します[11]

 

 『プラグマティズム入門』も、「(「意味において真」である言明の)分析的真理という概念に対するクワインの攻撃は、結果として、意味そのものの概念への攻撃でもあった」(本文153頁)と論じ、「分析性」の問題から「意味」の問題へとシフトしていきます。

 

 そこで、我々も「意味」の問題に入っていくことにしましょう。

 

 そもそも、「意味とは、何よりも第一に、言語の意味であ」ります(本文148頁)。そして、「言語とは、われわれの誰もが、公然と認識される状況下での他者の外的な行動を根拠として獲得する、一つの社会的な技〔social art〕[12]なのである。それゆえに、意味は、精神的実体のまさにモデルではあるが、行動主義者にとっても好都合なものとなるのだ。デューイはこの点では明確であった。『意味は……心理的な存在者ではない。それは一義的には行動の特性(property)なのである』。」(ibid.)

 

 さて、「意味は……第一義的には行動の特性(property)である」(本文150頁)というデューイのテーゼは、心理主義的な言語観の否定から導かれる帰結です。すなわち、「それぞれの語の意味は、……人の心の中……で、確定する」(本文150頁)のではなく、むしろ「心の外」で、その人の「外的な(言語)行動」によって決まるのであり、このような観点から、クワインは、言語に関する考察は「行動主義」的になされるほかはない、と考えるわけです(クワインが「博物館の神話」という名前を与えて批判するのも、心理主義的な言語観です)。

 

 したがって、「われわれが人間の意味論を、外的な行動を生み出す傾向性に含まれているものを超え、心の中で何らかの方法で決定されるものと見なす限り、意味論は、有害な心理主義に汚染されているのである。」(本文167頁)

 

 そして、「われわれがデューイとともに言語の自然主義的な見方と意味の行動主義的な見方に……目を向けたとき、放棄するものは、単に発話の博物館形態だけではない。われわれは確定性という確信を放棄するのである。」(本文157頁)

 

 未邦訳の小さな論文集『存在論的相対性(Ontological Relativity and Other Essays)』(1969年)[13]のタイトル論文である「存在論的相対性」の多くの部分は、「このような意味の不確定性こそ、まさにわれわれが現実に直面している問題であるという議論に費やされてい」ます(本文158頁)。

 

 それでは、「意味の不確定性は翻訳の不確定性の帰結」(本文163頁)であることを先取りした上で、クワイン哲学の基本テーゼの一つである「(根元的)翻訳の不確定性」(indeterminacy of radical translation)について述べていくことにします。

 

 「翻訳の不確定性」とは、二つの言語の間の「正しい翻訳」はただ一つには決まらず、複数の異なる翻訳の仕方がありうる、というテーゼです[14]クワインは、このテーゼを、「根元的翻訳(radical translation)」と呼ばれる思考実験を使って詳しく論じています(いよいよウサギが出てきます!)。

 

 根元的翻訳とは、これまで全く知られていなかった言語を、何らの予備知識なしに、全くの手探りだけで翻訳しようとする試みのことです。もちろん、その無縁言語(以下、現地語と呼びます)を話す人々(現地人)と、我々との間の仲立ちになって通訳をしてくれる人もいません。そうすると、その際データとして使えるのは、現地人達が様々な状況において示す、外的な(言語)行動のパターンだけです。そして、そのデータだけによって、どこまで翻訳が確定するといえるかを調べてみるのが、この思考実験の目的です。

 

 例えば、ウサギが現れるという事態と同時に、それまでの観察によって「ウサギだ。」という文に対応すると推測される現地語の一語文、例えば“Gavagai!”という文を質問として発し(“Gavagai?”)、被験者がそれに同意するか否かの判定を繰り返していきます。

 

 「この『ガヴァガイ』の翻訳は直示によって、言い換えれば、例を示すことによって決着できる純粋に客観的な事柄だと人々は考えるかもしれない。しかし、クワインはそうではないと主張する。」(本文159頁)

 

 「クワインの主張は、『ガヴァガイ』は等しく妥当性を持った少なくとも三つの方法で――すなわち、『ウサギ』として、『分離されていないウサギの部分』として、さらに『ウサギ相』として――英語〔日本語〕に翻訳できるというものである。」(本文160頁)

 

 言い換えれば、文“Gavagai!”は「ウサギだ。」を意味するにしても、語“gavagai”に対応されるべき現地人の刺激意味(stimulus meaning)が、我々によって観察されている当のウサギ一羽であるか、ウサギの時間的な断片であるか、分離されていないウサギの部分であるか、ウサギ相であるか、全てのウサギの集合であるか、あるいは全く未知の範疇であるかが、決して確定されないということです。

 

 「『ガヴァガイ』の英語〔日本語〕への翻訳が不確定なものだとすれば、現地のこの語の話者が何を指示するためにこの語を使っているのかそれ自体が、行動を通しては不可測である。」(本文165頁)

 

 「例えば、もしも、現地の人は具体的なウサギを指示するために『ガヴァガイ』を使っているのだという主張と、彼らはウサギ性を指示するためにこの語を使っているのだという主張が、現地語の話者および英語〔日本語〕の話者のすべての行動傾向に、等しく十分に合致しているとすれば、これらの主張のうちどちらが正しく、どちらが誤っているかを知ることは、永久に不可能であろう。」(本文168頁)

 

 要するに、文の中に現れる名辞が何を指示しているのかは、一義的には決まらない、ということです。これは、翻訳の不確定性の一つの特殊事例ともいえる「指示の不可測性」(inscrutability of reference)[15]と呼ばれるテーゼでもあります[16]

 

 クワインによれば、「ある一つの名辞の意味は、そのすべての正しい翻訳が、そしてそのような翻訳のみが共有するものだとするなら、その名辞が何を意味するかは、客観的には決定されない……。なぜなら、ある名辞の、いくつかの同義ではない翻訳の中でどれが正しい翻訳であるかは、それ自体確定できないからである。」(本文163頁)

 

 結局、「自然主義的に言語を理解する人々は、……指示という概念をナンセンスと考えざるをえない。もしも、現地語の話者がウサギを指示しているのか、ウサギ性を指示しているのかという問いが、人間の言語行動への傾向性の全体から見て決定的な答えを見出しえないのであれば、それは原理上不確定だということなのである。だからこそクワインは、『デューイの言語の行動主義的哲学の擁護において、指示が明確でないということは、何らかの事実が明確でないということではない。この問題には事実などないのである』と主張したのである。自然主義にとって、原理上不確定であるいかなるものにも、事実は存在しないのである。」(本文168頁)

 

 さて、先に述べたとおり、「1930年代および1940年代の経験主義哲学は、プラグマティズムではなく論理実証主義によって支配されていた。実際、プラグマティズムはこの20年ほど瀕死の状態にあったのである。」(本文152頁)

 

 しかしながら、「1950年代、60年代になると話は違う。この時代はプラグマティズムクワイン版の解釈によって支配されたのである。すなわち、クワインプラグマティズムとは、現代経験主義の中で、経験主義を広範にわたって規定していた二つのドグマが純化された後、生き残ったものだったのである。」(ibid.)

 

 「ドグマなき経験主義」としての「クワインプラグマティズム」において重要な役割を担うのが、「自然主義的認識論」(本文169頁)という考え方です。クワインの哲学的履歴書ともいうべき「経験主義におけるプラグマティストの位置」論文(1981年)において、自然主義的認識論は、「ヒューム以降の経験主義における五つの著しい進歩」の最終段階としての最も発達したプラグマティズムとも規定されています[17]自然主義的認識論によれば、認識論は、人間の外的な行動を科学的に研究する学問としての「心理学」の一分科であり、したがって自然科学に含まれる、と主張されます。

 

 ところで、クワイン哲学の基本テーゼである「翻訳の不確定性」、「存在論的相対性」(=「指示の不可測性」)などは、いずれも「自然主義」の方向を指し示すものであり、「自然主義」は、クワイン哲学を理解する上でのキーワードの一つです。

 

 その「自然主義」について、晩年の1992年に日本で行われたインタビューの中で、クワイン自身が次のように述べています[18]

 

 冨田 「自然主義」という言葉が、あなたの哲学を理解する上で、鍵になると思います。しかし、言うまでもなく、この言葉は微妙なニュアンスを持っています。そこで、あなた自身の自然主義について、少し話していただけないでしょうか。

 クワイン そうですね。本質的な点は、哲学を科学から分離して科学を正当化するものとするのではなく、哲学を科学の連続とみなすという、消極的な点にあります。そして、科学の結果を、科学的方法そのものの研究における、哲学者の道具とみなすのです。私にとって、自然主義の重要な面は、科学に対する科学の適用というところにあります。

 冨田 なるほど。

 クワイン それは、古い認識論の観点からすれば、悪循環ということになったでしょう。

 冨田 19世紀の新カント派的な哲学観を持っている哲学者からすれば、この種の自然主義は間違っているということになるでしょうね。あなたの自然主義は、ある意味で、哲学の長い流れにおけるある種の革命の核をなすものだと思いますが……。

 クワイン さあ、どうでしょうか。それは、認識論に関する限り、確かに重要なステップです。しかし、他方それは、ヒュームや他の多くの人々、プラグマティストが、科学を認識論的に正当化しようとしない限りにおいて、自然主義的観点として共有してきたものと思われます。それが、その決定的なところなのです。それは単に、認識論の古典的、デカルト的目的と考えられるものを、放棄するだけなのです[19]

 

 「認識論の古典的、デカルト的目的と考えられるものを、放棄する」。これは、経験主義の到達点である認識論的自然主義の特徴として挙げられる「科学に先行する第一哲学の目的の放棄」(本文170頁)を意味します[20]

 

 かつて認識論は、「科学に先行する第一哲学」であり、科学的知識を基礎づけるものと考えられてきました。仮に、認識論が我々の科学的知識を「基礎づける」べきものであるとすれば、認識論において科学を前提とすることは、クワインの指摘するように、明白な循環論法になるでしょう。なぜなら、その場合、認識論は科学を前提として科学を基礎づけることになるからです。

 

 しかしながら、自然主義的認識論は、そもそも「基礎づけ」ということを放棄します。したがって、そこには循環論法の危険はありません。まさに、「自然主義の重要な面は、科学に対する科学の適用というところにあ」り、認識論も自然科学に含まれるということを認める以上、当然に帰結されなければならない結論です。

 

 ところで、クワインはしばしば「ネオ・プラグマティズム」の中に位置づけられ、オールド・プラグマティズムの承継者の一人とされていますが、当の本人はどのように考えていたのでしょうか。

 

 先に参照したインタビューの中で、クワインは次のように述べています[21]

 

 クワイン 私は自分がプラグマティストだとは思っていません。ご存じのように、人々は「二つのドグマ」の最後のページを読み間違っています。〔中略〕私が「プラグマティズム」という言葉を使うのは、私が反論しようとしたカルナップの主張の内にそれがあったからです。かといって、私はプラグマティストとして分類されることに反対するわけでもありません。私にはその言葉の意味に関して、確信がないのです。私にとってはっきりしているのは、自分が経験論者だということです。

 

 その上で、クワインは次のように自己規定します。

 

 クワイン 私は、プラグマティズム的経験論者です。

 

 翻って、本章のタイトルは「プラグマティズム的経験主義と実証主義的経験主義」でした。プラグマティズム的経験主義はクワインの立場を指す術語であると冒頭で指摘しましたが、クワインにとっての力点は、プラグマティズム経験主義ではなく、むしろプラグマティズム経験主義であったわけです。

 

 そうすると、クワイン自身が述べる「プラグマティズム」という言葉を過大に受け取ることはできません。次章の冒頭で述べられているように、クワインは「いささか消極的なプラグマティスト」(本文179頁)にすぎないのです。

 

 以上で発表を終わります。御清聴ありがとうございました。

 

[1] アクロンは世界的なゴム工業の町として知られ、ブリヂストン(日)、ミシュラン(仏)と並ぶ、世界最大のタイヤ会社グッドイヤーの本社がある。

[2] それぞれの末尾に付される「経験主義」について。「『経験主義』と呼ばれる哲学的な立場や方法のなかに、かなりの多様性ないしは多元性がふくまれていることは否定しがたい事実であるが、この事実はそのまま経験主義の問題性を示すものといえよう」(稲垣良典)という重要な指摘があるものの、本報告ではこの問題について取り上げる余裕がない。他日を期する。

[3] このことは、イギリスにおける論理実証主義者アルフレッド・エイヤーも明確に承認している。

[4] 数学的論理学・記号論理学という新しい論理学に、哲学的探究の第一の、そしてほとんど唯一の道具としての身分を与える立場。「数学を論理学に還元する」という旗印を掲げたフレーゲ、ラッセル、ホワイトヘッドの「論理主義」とは異なる。

[5] オーギュスト・コントの「実証主義」と直接の関係はない。ただし、コントの「人類の知的進化の法則あるいは三段階の法則」(『実証的精神論』〔1844年〕)の第三段階「実証的あるいは実在的段階」における「特殊なものにせよ普遍的なものにせよ、ある事実の単純な言明に、厳密に還元可能でないすべての命題は、実在的で理解可能ないかなる意味をももたらしえない。」というテーゼは、「論理実証主義」の基本テーゼと非常によく似ている(ちなみに、第一段階「神学的あるいは虚構的段階」→第二段階「形而上学的あるいは抽象的段階」)。

[6] パースのプラグマティズムの格率は、一見すると「意味の検証理論」の先取りのようにも読めるが、これを反形而上学的な(唯名論的)論理実証主義と単純に同一視するのは誤りである。というのも、プラグマティズムの格率は、必然的に実在論を要請するからである。

[7] ①「有意味な命題」:世界について何かを語るものであり、真なる命題の総計がすべての自然科学である。さらに、思想とは有意味な命題であり、命題の総計が言語である。

 ②「論理学および数学の命題」:論理の命題はトートロジーであり、何も語らない。論理の命題は、無条件に真であるがゆえに、意味を欠いているが、無意味ではない。数学は論理的方法であり、数学の命題は等式であり、したがって疑似問題である。論理学および数学の命題が真であることは確実である。

 ③「哲学的(形而上学的)命題」:「善と美とは多少とも同一であるか否か」といった類の問いや命題は、偽なのではなく、無意味なのである。

[8] 「規約による真理」とは、分析的命題の必然性を、規約の言語的性質とみなす考え方である。この考え方を適用するためには、数学と論理学の命題が分析的であると示す必要がある。周知のとおり、カントは「分析/綜合」の定義において、論理学の命題は分析的であると認めていたが、数学的命題は(経験に依存せず必然性が直観されるという点で「ア・プリオリ」であり、認識が増大するので「綜合的」であるため)「綜合的ア・プリオリ」であるというのが、『純粋理性批判』でのカントの立場であった。これに対して、論理実証主義は、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』における主張を、「数学的命題はトートロジーであり、したがって数学も論理学と同じく分析的である」と解釈した上で、「意味の検証理論」を適用することにより、「ア・プリオリ/ア・ポステオリ」と「分析/綜合」の区別を同一化した。これにより、カントの「綜合的ア・プリオリ」は考慮される余地を失ったのである。

[9] 「すべての学問を通じて論理は同一であるといふ先入見が一般化しているのは不幸なことである。この偏見は、単に哲学と科学が同一の論理を使用する筈であるといふ見解のみならず、哲学を科学の中に解消しようとしたり、哲学と科学とを本質的に同じものとみたりするやうな考へ方、或ひは普遍学や統一科学の理念を生むに至る伝統の久しい誤解である。」(今道友信)

[10] 意味の検証理論は、クワインが第二のドグマと呼ぶ「還元主義(reductionism)」を含んでいる。というのも、還元主義の本質が、各命題それぞれに対して独立に一定範囲(全範囲も含む)の経験に対応する、という意味の検証理論の主張にあるからである。

[11] クワインは、「二つのドグマ」論文において、分析的命題における「分析性(analyticity)=意味において真」という性質を先ず検討し、「分析性」の基礎をなす「意味」「同義性」「必然性」といった一連の概念では「分析性」を説明しきれないことを示した。いずれの概念による説明も、残りの概念のいずれかに依拠せざるを得ず、循環的説明に陥るためである。

[12] クワインは、すでに1960年に公表した『ことばと対象』の「序文」を、「言語とは社会的な技(social art)である」という一文から書き起こしている。なお、「デューイは、言語形式の社会的使用の中に見出される他に意味など何も存在しないと主張した点では、ウィトゲンシュタインをはるかに先行していたのである。」(本文175頁)

[13] 『存在論的相対性』には、次の6篇の論文が収録されている。①「対象について語ること」、②「存在論的相対性」、③「認識論の自然化」、④「存在と量化」、⑤「自然種」、⑥「命題的対象」。これらの論文の中でも、特に重要なものとして、②「存在論的相対性」と③「認識論の自然化」が挙げられることが多い。

[14] 「翻訳の不確定性」の導出は、以下のように言語学上の「意味」の確定に関する方法論的反省であるかのように記されているが、クワインは別の箇所で、それはより端的にはデュエム全体主義とパース的意味の経験的検証主義によってア・プリオリに要請される原理であると述べている(③「認識論の自然化」参照)。

[15] ただし、後になってクワイン自身が、「指示の不可測性」と呼ぶよりも、「指示の不確定性」(indeterminacy of reference)と呼んだ方がよかったと述べている。

[16] 「指示の不可測性」は、何を存在者として認めているかという「存在論」の不確定性でもある。というのも、ある主張の「存在論的コミットメント」は、その主張に使われる名辞の指示対象(=述語の外延)によって決まるからである。したがって、もし名辞の指示対象が確定しないのであれば、ある主張によって人が一体何の存在にコミットしているのかも不明確となるのである。実際、クワインは「指示の不可測性」と「存在論的相対性」をほぼ同義のテーゼとして用いており、両者を明確に区別していない。

[17] 第三の契機である「認識論的全体主義」についてのみ付言する。「個々の言明を個別的に検証したり反証したりすることはできず、感覚的経験の裁きに服するのは、理論体系全体にほかならない」(野家啓一)というテーゼにまとめられる「全体主義(wholism)」は、クワイン哲学の基本テーゼの一つであり、特権的知識を認めないウィーン学団の異端児オットー・ノイラートの主張を引き継ぐものであるとともに、ローティに典型的に認められるような哲学の脱超越論化の試みに、強力な武器を与えるものである。なお、坂部恵は、「アトミズムを脱却したクワインホーリズム全体論)が、ふと、アヴィケンナの「共通本性」とダブって見えたりします。」という非常に興味深い指摘を行っている(同著『ヨーロッパ精神史入門』〔岩波書店・1997年〕154頁)。アヴィケンナ(イブン・スィーナー)とは、トマス・アクィナスに影響を与え、「第二のアリストテレス」とも評される、イスラム思想史上最高の哲学者である。

[18] W・V・クワイン冨田恭彦「ある経験論的自然主義者の軌跡――クワインとの対話――」思想825号(岩波書店・1993年)4頁以下

[19] 「パースはデカルト的懐疑を否定する点で、明確に自然主義的であった。」(本文173頁)

[20] 「私は哲学を科学に対するア・プリオリな予備学ないしは基礎学としてではなく、科学と連続的なものと見なす。私は哲学と科学を同じ船の中に――私がしばしば用いるノイラートの比喩に立ち帰るならば、われわれが航海中の船の中に留まりながら、大海の上でのみ建て直すことができるような船――乗り合わせているものと見なす。そこにはいかなる外在的な優越的視点も、すなわちいかなる第一哲学も存在しない。現在のところ当てにできるすべての科学的知見、すべての科学的推測は、それゆえ私の考えでは、他の所でと同様に哲学においても自由に使ってよいのである。」(③「認識論の自然化」)

[21] 「二つのドグマ」論文の発表40周年を記念して、1990年12月にトロント大学で行われた講演「二つのドグマをふりかえって」においても、同様の趣旨のことを述べている。

政治参加の動機づけ(論文紹介)

news.yahoo.co.jp

 

 国民の意思の上に構築される民主主義的国家理論は、国家意思の共同決定に「参加」する(teilnehmen)ことを個人にとって有意味で興味深く思わせる動機づけを前提するが、こうした動機づけは民主主義理論の関心事ではない。(日比野勤「「市民」と「公論」」『憲法学の展望:小林直樹先生古稀祝賀』(有斐閣・1991年)254頁)

 

 ドイツの政治学者ヴィルヘルム・ヘンニスの所説を手掛かりとして論じられる日比野教授の上記論文は、政治教育について考える上でも、非常に示唆に富むものである。

 

 今日の日本において、政治参加の動機づけをどのように活性化していけばよいのか。この問いに答えるためには、民主主義国家という国家形態が如何なる人間学的諸前提の上に成り立つのか、また今日の民主政の下でそうした人間学的諸前提が本当に成り立つのかについて、一旦大きく引き下がってじっくり考えてみる必要があるだろう。

習慣と所有

 筆者は、ある大学院の勉強会にて、パースのプラグマティズムに関する報告発表を行った際に、次のように述べたことがある。

 

 近代以降、無視と忘却の歴史をたどった「習慣」概念には、個人的に底知れぬ深さを感じるところであり、その分厚い伝統を掘り起こしてみることは、私の今後の課題の一つとして持ち越したいと思っています。

 

 今後の課題として持ち越したままだったが、少しばかり方向性が定まったので、ここに記しておくことにする。

 

 すなわち、アリストテレスのhexis(持前)、トマス・アクィナスのhabitus(習慣)にまで遡りつつ、パースやデューイの「習慣」論との関係も視野に入れながら、マルセル・ガブリエルの「存在と所有」(Être et avoir)の問題から示唆を得つつ、「習慣」を「所有」という視点から読み直す。

 

 今年中に全体の骨格を完成させて、その後、徐々に肉付けをしていく予定である。また、進捗状況については、本ブログにて報告していくつもりである。

全てを解き放て

 意欲は解放する。これこそ、意志と自由についての、真なる教えである。ツァラトゥストラは汝らにその教えをかくのごとく教える。

 もはや意欲せず、もはや評価せず、そしてもはや創造せず――あぁ、その大いなる疲労の我には常に遠からんことを。

 認識においてもまた、我はただ我が意志の生産と生成の快楽のみを感ずる。そして、もし潔白が我が認識においてもありとせば、それはただ、生産の意志が認識において存するがゆえである。この意志は我を誘って、神及び神々より去らしめた。そもそも、もし神々がここにいたとすれば、今はた何を創造せんとするのか。

 この我が激越なる創造の意志は、常に新たに我を駆って人間に至らしめる。かくて鉄槌をして石を撃たしめる。

 あぁ、汝、人間よ、石の中に一つの像、我が多くの像の一つが眠っている、あぁ、この像が、かくも硬く醜き石の中に、眠りを続けざるをえぬとは。

 今や、我が鉄槌は、この像の牢獄の石に向かって残酷にも荒れ狂う。石よりして破片は飛び散る。それが私に何だというのか。

 私はこれを完成しよう、我に或る影がやって来たからである。万有の中、最も静謐にして最も軽快なるものがひとたび我に訪れたからである。

 超人の美が、影さながらに我に来た。あぁ、同胞よ、今更、神々が我に何の関わりをもとう――ツァラトゥストラはかく語った。

 

 理性の能力の特別なものは、思考ではなく創造である。理性でものを生む予感と挫折と憧憬と傷とが共存する、ここはまさに創造的体験の場である。